きらめけブログ

30歳で死ぬまでの記録

時間がかかるかなって

MBTI、パーソナルカラー、発達障害セクシュアリティ

なんでもいい、なんでもいいから枠がほしい。

カテゴライズされると楽になるっていうのは、きっと本当で、

誰かがつけたラベルをそっと指でなぞりながら、

「そうそうわたしってばこういう人間なんです。みなさん理解してくれよ」なんて、ひとりごとのように呟いてみる。

 

なんて傲慢なのだろう。

 

「わたしってばHSPだから繊細で傷つきやすいんです」

「わたしってばINFPだから現実が苦手なんです」

「わたしってば水星逆行の影響をモロに受けるタイプで…」

 

わたしってば、わたしってば、わたしってば

 

こうやって枠に収まると少しだけ気が楽になる。

そうかわたしが生きづらいのは、“わたし”のせいじゃないのか。

この繊細さも、この社会不適合っぷりも、もともとの資質なんだから仕方がないのか。

 

でも、そう思えた瞬間、少しだけ冷静になってしまう。

本当に?本当にそう?

HSPだから」じゃなくて、「ただの過敏な人間」なんじゃないの?

「INFPだから」じゃなくて、「ただの怠け者」なんじゃないの?

「水星逆行だから」じゃなくて、「ただの段取りミス」なんじゃないの?

 

あなたは真面目で考えすぎる節がありますね」なんて言われたら最後

「えっそうです!わたしって真面目で考えすぎちゃうんです!」って前のめりに肯定してしまう。

だって、そう言われるのを待っていた。

「あなたってば本当に、真面目で考えすぎちゃう人間なのねえ」

そんなふうに誰かに言ってほしくて、わたしは真面目なフリをしてずっと考えすぎている。

 

まあ、なんて傲慢なのだろう。きもすぎる

 

“考えすぎる人”になったら、考えすぎることに理由ができる。

HSPだから」「内向型だから」「双極だから」「水星逆行だから」

そうやって何かのせいにできるなら、それでいいと思っていた。

 

だって、そうすれば努力しなくてもいいから。

 

「いやいや考えすぎるのやめて現実と向き合えよ」

って言われたらどうしよう。

考えすぎるのをやめたら、わたしは何になるんだろう。

 

努力の出来ない言い訳おばけ

 

何者かでありたかった

 

生きづらさを抱える”繊細な特別な存在”として、

もっと大事に扱われたかった。

「あなたはあなたのままでいいよ」と、

特に努力もしないまま許される人生が欲しかった。

 

でも、現実はそうじゃない。

誰かに「わかるよ」と言われても、

“わかる”の次に来るのは、結局「で、どうする?」だ。

どれだけ診断名を並べても、どれだけラベルを貼っても、

それだけで生きやすくなるわけじゃない。

 

気づいてしまった。

でも気づいたところで、どうしたらいいのかわからない。

だから、今日も考えすぎる。

考えすぎるのをやめるという、考えすぎる行為について、また考える

緑の窓口

 

タクちゃんの30歳の誕生日がきた。

きんにくにくにくにく18とプラス12。

 

そうか、タクちゃんは30歳になったんだ。

 

彼がキラキラを増すたび、私という存在は薄れていく気がして、その寂しさを抱えながらも、なぜか安心している自分がいる。

 

最近ふと思い出すのは、タクちゃんに焦がれる前の自分。あの頃、私はK-POPに夢中だった。

あの時代のK-POPは、閉じられた世界だった。

暗くて、湿っぽくて、どこか中二病みたいな空気をまとっていたのが安心だった。

文化祭で「ミスター」を踊る陽キャたちを横目に、「でもまだここは私たちの場所だから」と勝手に誇らしく思っていたあの頃。

今じゃみんな同じ顔に見えて、同じ曲に聞こえるなんて、あの頃の私が知ったら泣くだろうな。

 

スーパージュニアの3集を聞き返すと、名盤すぎて胸が痛くなる。

でも、もう戻りたいわけじゃない。ただ、懐かしい。ほんの少し泣きたくなるだけ。

 

今の私は、家計簿動画を見たり、古堅純子のビフォーアフターを見たり、ガルちゃんを漁る毎日。

無駄だと思ってしまう時間の中で、ただ流されている。

でも、暴走列車みたいに生きてたあの頃を懐かしく思いながら、今の私もどこかで走り続けているのかもしれない。

 

タクちゃん、30歳おめでとう。

あなたの光が増すたび、私も少しずつ、何かを見つけているんだと思いたい。

久しぶりの超特急

 

2024年4月。長い鬱のトンネルを、どうにかこうにか抜けて、新メンバーが加わった超特急のライブへ。

 

最後の現場は卓球の大会だったかもしれない。記憶がもう曖昧で、そんな自分が浦島太郎みたいだと苦笑しながら、現場へ向かった。

 

何だか落ち着かない。お腹の調子も悪くて、緊張が波打っているのが自分でも分かる。

 

会場に着いて、すぐ思った。

時は来た。超草川拓弥時代、時は来タクヤ

 

タクちゃんを見てファンになる人が増えているという噂を聞いていた 。それでタクちゃん、「緑の窓口」と呼ばれているらしい。

 

その愛称が、可愛さ全開で、まさにタクちゃんにぴったりだなと思った。

だけど、その可愛さが、私の心の中で少しだけ重荷になる。

 

どうして彼は、あんなに無邪気で自然体で、自然に人を惹きつけられるんだろう。

そんなことを考えながら、ライブが始まるのを待っていた。

タクちゃんのセンター曲「えーる」が流れ始め、会場の体感4割が緑のペンライトで染まる。タクちゃんの自然体の笑顔や、目を引くパフォーマンスに会場が圧倒されていた。でも、私はその眩しさの中で、心がざわざわとしていた。彼のような輝かしい存在に触れるたび、自分の小ささや無価値さを痛感してしまう。あまりに遠く感じて、心が追いつけなくなるのだ。

 

新メンバーも、また素晴らしかった。シューヤくんの情熱、マサヒロくんのぶれない自信、ハル坊の成長。彼らを見ていると、彼らが私とは別の次元にいることがよくわかる(それはそう)

 

そんな中で、目が離せなくなったのは、アロハくん。

ライブの途中から、気づけばアロハくんに釘付けになっていた。

 

彼はまるで太陽のように光り輝いていて、動くたびにその存在感が増していくのがわかった。

純粋すぎるくらいのひたむきさに、胸が締めつけられる感覚を覚える。

彼を見ていると、忘れかけていた若さの中の美しさや可能性が、無意識に呼び起こされる気がした。

あの頃、まだ自分が失わずにいたはずの感情が、目の前でアロハくんによって再び体現されているようで、とても切なかった。

でも、彼の輝きの背後には儚さがあった。彼を見ていると、まるで壊れそうなガラス細工を見守っているような不安定さを感じる。

いつかその輝きがパッと消えてしまうんじゃないかと、そんな危うさが心に引っかかる。

でも、それこそが彼の魅力であり、私はその危うい輝きに完全に引き込まれてしまった。

オタクは死ぬまでオタクなんだな、と痛感する。自分の不安定さや孤独を、アロハくんの姿に重ねて、気づけば新しい推しができていた。どれだけ超特急に救われるんだろう?そんなことを考える自分に少し笑いが込み上げるけれど、本当は心の奥で、救われたいんだと思っている。

アロハくん、卓球大会にでてたんだね……

 

 

 

死にたいとも言えない30歳

 

オタクだった頃の生活って、もう頭のどこか遠くに行っちゃってる。

昔は、オタクになる前の自分なんてまるで思い出せなかったのに、今じゃ逆にオタクだった時のことが夢みたいに感じる。

 

あの灼熱の夏フェスでタクちゃんの登場をただただ待ち続けてた自分とか、5時間立ちっぱなしで手に入れたタクちゃんの生写真とか。

朝から夜まで働いて、そのまま夜行バスに飛び乗ってライブに向かってたあの日々たち。

 

全部、現実から逃げるための手段。

 

止まったら負け、冷静になったら終わり。超特急どころか暴走列車みたいに突っ走ってたんだけど、気づいたら「え、行き先どこだったっけ?」って感じ。

 

結局はわたし、タクちゃんになりたかった。

 

自分にはないものを全部持ってるタクちゃんは、

もう憧れってレベルを超えて、「こうなりたい」っていうわたしの理想そのものだった。

 

タクちゃんを好きで追いかけてたんじゃなくて、実は自分の欠けてる部分を埋めるために、タクちゃんを必死に見つめてたんだよね。

 

でも、冷静に考えたら、それってただの自分のコンプレックスをアイドルで埋めようとしてただけじゃん?

 

あの時は気づかなくて、「タクちゃん命!」とか思ってたけど、今思えば「いや、ただの現実逃避だったじゃん?」って笑っちゃう。

 

あの頃の暴走列車みたいなスピード感は幻で、今じゃそのレールも消えかけてる。

 

だけど、タクちゃんになりたかったあの必死な自分、あれだけはどっかでまだ残ってるんだろうな。

 

アイデンティティ

 

歳を重ねて、メンヘラなんて言葉ももう似合わなくなったし、オタクとしての情熱も薄れてきた。

ただ残ったのは、根暗さと卑屈さと、ASDのせいで散らかる頭の中。

愛しさと切なさと心強さどころじゃない。

 

昔は、自分のこの“ズレ”に個性を感じたりしてたんだけど、今じゃそれがただの足枷にしか思えなくなってる。

 

これからが本当の地獄なんだろうな

 

過去にしがみつくほど魅力的な思い出もないし、未来に期待するほどの希望も持てない。

 

ただ今ここで、なんとか形だけでも自分を保って生きている。周りが求める普通に合わせようとするたびに、あまりにもズレている自分に気づいて、そのたびに卑屈になる。

このズレが直せない、そしてそのことが自分をますます縛りつける。

 

かつては何かに没頭していれば自分がそこにいてもいいって思えた瞬間があった。

でも今はそんな感覚すら薄れてきて、ただ生き延びるために、日々なんとかやり過ごしてる。

 

もしこれが本当の試練だって言われたら、その先に何が待っているのかなんて、想像するのも怖い。

でも、結局どこまでも走るしかないんだろうな。走れ走れ、超特急で。先が地獄だとしても、止まるわけにはいかないんだ。

 

 

久しぶりにタクちゃんの話

タクちゃん、バレンシアガのキャップ被ってオタクにメンチ切ってた頃ともう全然違う。

 

あの頃はちょっと尖った感じもあったけど、今じゃ表情もすっかり柔らかくなってさ、なんかすごくいい大人になっちゃった。

でもどこまでも可愛いんだよね、タクちゃんは。歳を重ねても、その可愛さが衰えるどころか、むしろ増してる。何それ、反則すぎない?ちゃんと大人になってるのに、可愛さだけは置いてかれないってさ、どういう仕組み?結局、タクちゃんはどこまで行ってもタクちゃん

 

https://youtu.be/DMeuLPOBikc

 

 

 

 

 

超特急10周年とタクちゃん

超特急が10周年を迎えた。

だけど、わたしは相変わらず被害者ヅラで毎日をやり過ごしてる。

時の流れって、ほんと不思議。

タクちゃん、10年経っても変わらず可愛いままで、むしろ可愛さをアップデートしてるんだから。

どういう仕組み?誰か時間をいじってる?

いやいや、わたしだってちゃんと時は流れてること、わかってる。でも、どうしてタクちゃんだけがビューティーを更新し続けてるんだろう。

わたしはただ、歳を重ねるたびに卑屈さを積み上げてるだけなのにさ。

新メンバーも加入して、超特急がまた新しいステージに進んで。また新しい景色を見せてくれるんだってワクワクしてる。

昔みたいに多ステしたり、生写真に全財産を突っ込んだりはもうできないけど、それでもタクヤと超特急の幸せを、ひっそり祈ってる自分がいる。

そして、そんなこと考えながら、わたしはただ静かに死んでいくんだろうな。